博多港運の、これまで。
その歴史を辿ると、紀元1世紀まで遡る博多港。博多の地にあった「奴」という国と、当時の後漢の光武帝との交流にはじまり、7~8世紀には遣隋使、遣唐使、遣新羅使らが博多港から出発。
その後も日宋貿易、日明貿易の舞台となるなど、古くから博多港は大陸文化の窓口として栄えてきました。
その後も日宋貿易、日明貿易の舞台となるなど、古くから博多港は大陸文化の窓口として栄えてきました。
明治の幕開けとともに、一般開港外の特別貿易港に指定された博多港は、1899年(明治32年)には国際貿易港に指定。1936年(昭和11年)には、港拡張の第1期工事が完成しました。
しかし、その一方で、日本は戦争への道を歩み始めていきます。港湾の重要性が増してきたにも関わらず、当時の港湾には運送業者が乱立。それぞれが無統制に活動していました。
しかし、その一方で、日本は戦争への道を歩み始めていきます。港湾の重要性が増してきたにも関わらず、当時の港湾には運送業者が乱立。それぞれが無統制に活動していました。
そこで、1941年(昭和16年)に「港湾運送等統制令」が公布。
同年末には港湾運送は逓信大臣の許可制となります。
全国で「一港一社」の港湾作業会社が設立する中、博多港では地元資本の5社が統合を重ねた末、「博多港運」が設立しました。
同年末には港湾運送は逓信大臣の許可制となります。
全国で「一港一社」の港湾作業会社が設立する中、博多港では地元資本の5社が統合を重ねた末、「博多港運」が設立しました。
戦後、博多港運は通運業からはじまり、自動車運送業、倉庫業、貨物利用運送事業など、博多港の近代化整備とともに事業も拡張。昭和50年代後半には、コンテナターミナル部門にも本格的に参入しました。現在、博多港の海上コンテナ取扱個数は、89万TEU(2021年実績/1TEU=20フィートコンテナ1個分)と国内で6番目の取扱量を記録。当社はそのうち約40%を取り扱っております。